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- 那須高原 蔵楽(くらら)手作り味噌と地酒のお店


むかしながらの那須の風土で食されたきた田舎味噌
那須の地元の手作りを売るお店ができてよかったです。
那須湯本にある月井酒店さんの姉妹店になりますので、生粋の那須の人間です。
江戸時代のことわざで「医者に金を払うよりも、みそ屋に払え」というぐらい味噌は健康にいい食品です。
なんせ20人も暮らしていたので、造る量も半端じゃない量でした。
当時ですから、添加物など一切ありません、お茶などは随分造るのを手伝わされました。
そういう物の担当はひいばあちゃんとばあちゃんで、ばあちゃんがいくら良い物を作ってもひいばあちゃんが必ずダメだしをします。
ドライビング Miss デイジーが二人いるようなものです。
ま、お互い明治の人間ですから、嫁姑というより白河藩(幕軍)と黒羽藩(官軍)の家庭内戊辰戦争です。
しかし本質はキチンと分かっていた、ガンコだが優しいばあちゃんでした。
自分ちの味は美味しいですよ、今では遠い昔になってしまいましたが、蔵楽の手作り味噌もそんな昔の味にこだわって造っています。
平均寿命が37、8歳だった時代に75歳の長寿を保った徳川家康は、「五菜三根」のみそ汁を食べていたのが長寿の一つの要因だと言われております。
最後は本能寺の変で、明智光秀に身柄を抑えられる恐怖を分かち合った、茶屋四郎次郎の鯛マリネをたらふく食べて命を落としてしまいましたが、江戸時代としては相当な医学通でもありました。
おかみさんがご自分で字も描いたそうですが上手ですね。
私の家の味噌蔵は古くて暗い小屋でした。
毎日大量の味噌と漬物を取りに行かされるのは、子供の私にとってはイヤな役目でした。
一度私の目の前を、見たこともない大きなアオダイショウが、味噌や漬物が置いてある小屋に悠々と入っていくのを目撃したのは衝撃的でした。
今だにあんな大きな蛇は日本では見たことないです。

そんな、横溝正史の小説にでてくるような蔵ではなく、インテリア雑誌にでも掲載されるようなお店です。
ただお店の方もあり一人ではできませんので、駄菓子屋ちゃ色の昭るりさんなどの愉快な仲間達と作っています。
お米の名前が贅沢三米(ぜいたくざんまい)という、吹き出してしまいそうなネーミングでした、面白い人たちです。


まったく、人里離れた段々畑で元は湧水、清水の清涼な水で造っています。
地元那須の手作り味噌。
地元の信頼性、安全で美味しい味噌を造る蔵楽(くらら)さんです。
那須にきた人が「うおらぁ〜、うそじゃねえかよおっ!」 などとつまらない思いをしないお店ですから是非たち寄って見て下さい。
食品店ですのでワンちゃんはお車で待っててね
地酒コーナー これからの蔵を応援します。
Je soutiens l'entrepo^t du coin de bie`re local cela
さすがおかみさん酒屋の娘ですから、酒については知識豊富です。
天鷹のような有名蔵の酒もありますが、まだまだこれからの蔵を応援しています。
詫びながら、手酌酒、演歌を聞きながら
愛してる、これからも 、わかるよなァ酒よ
吉幾三さんはC型肝炎でしたから、酒を飲むのも命がけだったのでしょう。(現在は完治)

私も輸血でC型肝炎にかかっていて「ソバルディ」で完治いたしました。
臨床においては、国内で最も早く治療が始まった一人であります。
一錠7万円の薬です(基本的にはそれを一日一錠を90日間飲みます)、たくさんの議論があったようですが厚生省が認めてくれたため僅かの負担で諦めていた病気が治りました。
国民の皆様の負担によって助けられた体です、失礼のないようにバカラに天然水で飲まさせていただきました。
この場をお借りいたしまして国民の皆様に厚く御礼申し上げます。
「ありがとうございました」
副作用もまったくありませんでしたから、夢のような話でした。
「夏子の酒」の主題歌ですね、
なつかしいです。
新潟県の三島郡和島村にある「久須美酒造」さんには私も何度か行きました。
まだ夏子酒がテレビドラマになる前でした。
久須美酒造の造るのは「清泉」と夏子の酒のストリートの元になった「亀の尾」という米で仕込んだ酒です。
「佐伯夏子」も「必殺仕事人」にトラバーユ(古い)してしまいましたが、こんな人気の酒がまた生まれますように。
那須温泉神社にお参りしましょう。
さあ、これから頑張ってもらいたい地元のお酒達です。
この中には私の親類の蔵元もあるのですが、それこそ手前味噌になってしまいますから公表はやめましょう。