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昭和の子供達のヒーロが集まっているよ
昭和39年頃の日本は「陽のあたる坂道」のように、世の中はこの先の時代は、陽のさす登り坂が続くと思っていた単純だが明るい時代でした。この文が駄菓子屋ちゃ色の基本スタンスです。
私達は年もほとんど同じぐらいなので、その頃の事は良く記憶しています。
店の中にいると、本当に昭和39年にタイムスリップした気がしました。
昭和39年私は7歳でした、本当に私もバナナが腹いっぱい食べれたら死んでもいいと思っていた昭和の貧乏世代です。
しかし日本には活気がありましたよね。
東京オリンピックが開催され、ゴール前で惜しくも抜かれたが、「男とは後ろを振り向くな」という彼の信念どおり、ひたすら前しか見ないで走る、セッケン77番を付けた円谷選手の銅メダルに日本中が感激していたのを憶えています。
ゴール前のアナウンサーの「円谷がんばれ、円谷まけるな」という絶叫は今でも覚えています。
円谷幸吉選手は那須からも近い福島県の須賀川市の出身です。
そしてアベベ・ビキラがオリンピックのマラソン種目で史上初の2大会連続優勝を果たし、2個の金メダルを獲得しましたが日本国民もアベベには感動させられました。
何と言っても前回のローマオリンピックでは裸足で走ったのである。昭和39年はそんなスゴイ人間がいた時代です。
たまにマツダの三輪は見ますが、これはちょっと無いですよ。 私の子供の頃もこんな感じだったなあ〜。
もっとも全然勉強しませんでしたが。
思わず笑ってしまいましたが、花壇に入るなということなんです。
どんなキレイな花が咲くのかなぁ、と楽しみにしていましたが咲いたのはススキじゃねえかよ!
ススキは花かっ!
店は店主が、子供の頃住んでいた家の材料を使い建てたものです。
大工さんに出した注文がまた、傑作なんです。屋根は背臥位(せがい)角が反っている屋根です。
そして二箇所ぐらい雨漏りがする、そんな店を作ってくれと頼んだそうである。 こちらは、店の横にある茶の間?
本当にカレンダーも昭和39年である。
都会は知らないが、昭和39年の田舎の家はみんなこんな感じでした。
テレビも改造してあって映るのがニクイというか、よくやるよ。
すべて当時のものです。
当時の不二家のもの。
ペコちゃんも現在の顔と随分違います、なかなかこんなものお目にかかれませんよ。
見よ 当時の子どもらの職人技!ベーゴマの攻撃性を高める為ヤスリで擦って、低くしました。芯を外さず仕上げる技は、一朝一夕では出来なかったと思います。
ベーゴマは思いを込められ火花を散らし、夢を乗せ回りました。
ベーゴマは低くすればするほど回す技術の向上も求められました。戦いに明け暮れた子どもらの念がこもっていますぞ。
マグマ大使や当時のメンコ、懐かしいです。
本当は独特の、当時のこの辺りの話を絵本風に作ったり気取らない才能豊かな人です。
那須で見かける、上手ですが、なんかどっかで見たことのあるような作品ではなく、独特の彼の世界です。
ダッコちゃんはたまに見ますが、写真ではちょと分かりづらいですが、特別な特大ダッコちゃんです。約50年前のものですが、新品箱付きですよ。私も初めてみました。
このオバケのQ太郎が相当なレアなものだそうです。モチロン50年ぐらい前のものとはいえ新品ですよ。私よく考えるのですが、オバケのQ太郎はマリア・カラスの顔にインスパイアされたのではないでしょうか。