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パワースポットとして有名な歴史ある那須の名所
那須温泉神社の歴史は古く那須温泉神社の名が初めて見えるのは貞観5年(863年)の「三代実録」で、延喜式(平安時代)神名帳にも上撰されていますから由緒ある神社です。
延喜式とは延長5年(927年)に藤原時平・忠平、紀長谷雄らによりまとめられた律令(法律)の書巻で撰進(天皇などに奉ること)されました。
当時のオフィシャルなエンサイクロペディアであり「官社」に指定された神社の一覧表もあり、那須温泉神社は「上撰」(従四位下)ですからかなりものであったと思います。
「温故知新」古きを訪ね新しきを知る
創建は630年の第34代舒明天皇(じょめいてんのう)の平安朝の創建とされている。
これは殺生石よりも歴史的には古いです。
有名な東京都内最古の寺である浅草浅草寺もほぼ同時代の推古天皇36年(628年)の創建とされています。
聖徳太子が574年 - 622年ですから、いかに古い歴史があるかわかると思います。
日本国憲法の最高法規は第97条〜99条になりますが、聖徳太子が定めた「十七条憲法」の最高規約ともいうべき第十七条が「それ事は 独り断(さだ)むべからず 必ず衆とともに 論(あげつろ)うべし」というんですから、なかなか昔の人はすごいですね。
那須の古きを訪ねて、パワースポットなどの新しきを知るのもいいかもしれませんね。
(写真は那須温泉神社の例大祭)
那須湯本の東野交通の駅と殺生石に挟まれた場所に位置する、那須でもっともわかりやすい場所です。
一の鳥居がある場所は昔高湯月山寺があった場所です。
左側社務所の向かい側は見立神社であり、那須湯本温泉を発見した狩野三郎行廣を祭ってあります。
一直線の道が那須温泉神社と続いています。
那須嶽神社を合祀し大己貴命、少彦名命の二柱を祭神にするとありましたが、公式ホームページに誉田別命(ほんだわけのみこと)も配神してあるとのことです。
誉田別命は応神天皇(実在されたとされる最初の天皇)の諱であります。
那須温泉街は、基本的にこの那須温泉神社を起点に発展しました。
標高は約900m
殺生石と隣接して遊歩道が整備されていますので、合わせて観光するのにとても便利です。
平安のゴルゴ13 那須余市(なすのよいち)
那須余市宗隆(なすのよいちむねたか)が奉献したとされる鳥居です。源平争乱の「屋島、壇ノ浦の合戦」で、平家方の小舟の扇の的を射抜いた、平安のゴルゴ13那須余市が、戦勝を祈願したことで有名な延喜式神社。
(千本松牧場のゴルゴ14はまったく関係ありません)
「人物でみる栃木の歴史 ー 栃木歴史文化研究会」という本を読んでみると、かつて栃木県立博物館が調査研究してところ、那須与一(余市とは記載されていない)の墓と伝えられる墳墓は全国で15ヶ所もあるそうです。
那須与一の民間伝承は青森県から宮崎県まで全国に広くちらばっており、面白いことに栃木県内のものが「那須温泉神社」などのように神性を帯びた与一の幼少期を中心にしているのに対し、屋島合戦以後に関わる伝承は下記にも記しましたが(出家伝承、死亡伝承、ポックリ信仰など)は西日本に広く分布するといいます。
平安、鎌倉時代の「平家物語」に登場する有名な弓の名手ですが、当時の那須与一はけっして大身の人物ではありませんから、同時代の沢山の人々と同じく墓が特定されておりません。
祈願宝物殿には那須余市ゆかりの品や乃木大将の遺品などが展示されているそうですが、一般公開はされておりません。
那須温泉神社宝物集
こちらのページを是非参考にしてください。乃木希典那須野旧宅(のぎまれすけなすのきゅうたく)
那須余市が奉納した鳥居を、芭蕉もくぐったそうです。
那須余市に関する本当の所は、生没年不詳であり、実際に実在したかどうかも、歴史のみぞ知るという所なのでしょうが。
さすが平安のデューク東郷ソツがありません。 那須余市宗隆は、源頼朝から丹波や信濃など5カ国の荘園をもらい、那須一族繁栄の基礎を作ったといわれています。
いろいろと議論はあるようですが、実在したとしてもその後、反対に義経についたということで頼朝より冷遇され、必ずしも幸せな生涯を送ったのではなかったという人もおります。
義経の幕下でしたら当然の処置かもしれません。
平家物語などは「諸行無常」など仏教思想をベースに書かれておりますから、その平家をやっつけた義経や那須与一などは神社には好都合の人物なのかもしれません。
C.I.A.にでも調査してもらわないとわかりませんね。
私は実在しなかったと思います。
(源義経でさえ確かな歴史に現れるのは、黄瀬川(きせがわ)で初めて頼朝と対面した22歳から31歳で自害するわずか9年間しかありませんから、推測の域を超えないというような事だと思います)
大和さざれ石
理屈だけ並べても、なかなか正解が見えない世の中です。思い切って運を天に任せて、おみくじでも引いて、流れに下駄を預けるのもたまにはいいのかもしれません。
那須温泉神社は運気を上げるといわれるパワースポット。
この石が国家に謳われているさざれ石です
悠久の歳月の間に多くの小石が凝結したもので、さざれ石は年とともに大きく成長し、巌となると信じられている神霊の宿る石です
さざれ石は石灰岩が雨水などで溶解して、コンクリート状に固まったものです。
君が代は小石が集まり巌となって、その巌に苔が生えるという、悠久の時間の比喩として謳われたもので、特定の石を指しているものではありません。
那須は酸性土壌ですから石灰岩は少なく、この石も他から持ってきたものです。
一般名詞としての各地にある「さざれ石」ということですので誤解しないでね。
パワースポットを信じている方はどうぞ石に触れてください。
石の神聖な力は、石に触れると願いが叶うそうです。(もちろん責任はもてませんが)
那須温泉神社にある松尾芭蕉の句碑
松尾芭蕉は元禄2年(1689年)4月19日(陽暦6月5日から6月の7日の間)に那須温泉神社に詣でました。
那須余市が平家の扇の的を射抜いたという、矢を拝見したそうです。
現在は拝観することはできませんが、宝物として所蔵していると思います。
那須の温泉神社の相殿に八幡宮を移し奉り両神一方拝まれ給うとあり
湯をむすぶ 誓いも同じ 岩清水
この句碑に刻まれた書は徳川氏の奥八城太郎弘賢(屋代弘賢)によるものです。
流石徳川の奥右筆を務めたとあって達筆です。
残念ながら、句の方は推敲(すいこう)の段階でボツになってしまいましたが、曾良日記には記されているそうです。松尾芭蕉は沢山の句を奥の細道で読んでいますが、取り上げらているのは一部分だと思います。
那須温泉神社の風景
パワースポットとして若者や受験生に大変人気があるそうです。
おみくじが朝日に輝いています。
はたして願いは届いたのでしょうか?
世界のパワースポットと言われている場所は国定公園や世界遺産になっている場所が多いそうである。
個人的にはそんなもにの頼らず勉強せ〜い。
オフシーズンなどはとても静かな場所ですが、いざシーズンとなれば人が沢山訪れる那須の名所です。
観光バスだと、間違いなく護送されてきます。
那須余市が奉納した鳥居の横にある、推定樹齢800年といわれるミズナラの御神木です。
他にもいろんな木々に囲まれています。
季節がよければ、木洩れ日の中でゆっくりと、いにしえの人々を偲んでみましょう。