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秋の空と農村に咲く赤い花
ここは伊王野の町から旧東山道を6Km程行った美野沢(蓑沢)という集落です。広大な八溝山脈の中山間地の三蔵川の段丘に位置し古代は東山道が通る小さな昔の宿場で、古い町並みが街道の面影を残しています。
ここは栃木県と福島県の県境に近く、那須町町民バス追分・黒磯線の蓑沢バス停の辺りから、少しだけ田園地帯に入った場所が美野沢彼岸花公園(蓑沢彼岸花群生地)です。
福島県側には「境の明神」があり、その南に追分の小部落があり、地内には「二岐ケ峰(ふたきがみね)」城跡があります。
蓑沢は峰沢から転記されたものとされ三蔵川に連続した峰を意味します。
人気番組であるローカル路線バス乗り継ぎの旅で、太川陽介さんと蛭子能収さんがこの区間を通り、この少し先追分と白河の関の区間は路線バスがありませんから大変だったようです。
公共機関のバスは唯一那須町町民バスになります。
美野沢彼岸花公園は美野沢地区区民が自然環境保全として、彼岸花群生地を保全し、美野沢ふるさと委員会組織を結成して、地区の住民一同が協力して年間を通じて保全管理を行って美野沢彼岸花公園を作っております。
駐車場も整備され車椅子でも見て回れるようにバリアフリー化された遊歩道には、ベンチが所々に設置され、ちょうど稲の刈り取りが行われていて農村の美しさを見ることができました。
ここはコーヒーというより、やっぱり日本茶とおにぎり。
のどかな田舎の、豊かな農村風景を眺めながら、米のおにぎりを食べるというのは美味しいです、日本人ですからね。
真っ青な秋空と真っ赤な彼岸花の間に、豊かに実った黄金色の稲穂が広がっています。
日本食(和食)がユネスコの無形文化遺産に登録され、沢山の海外の人達が日本文化に注目しています。
その根底にあるのは米です、寿司しかり日本酒しかり、外国人がみたら涙をながして喜ぶような風景が広がっています。
稲穂の実りと一緒に咲く彼岸花は、豊穣の花なのかもしれません。
日本人、のんびりと「昼のいこい」という本物のスローライフが残っています。
これは単なる「お国自慢」ではなくて、かつて伊王野氏の領地であった両郷から伊王野という地は、本当に日本でも屈指のおいしい米が採れます。
食べたらわかりますが、スーパーなどで売っている有名ブランドなど霞んでしまうぐらい美味いですよ。
(写真下 美野沢小学校の生徒が放課後ボランティアで清掃活動をしています)
旧東山道の梓(アズサ)を過ぎますと関東ふれあいの道の入り口があり、田園と農村の風景を楽しめるように整備されております。
栃木県道・福島県道76号線、伊王野白河線は全線がかつての東山道に該当します。
直接群生地に向かうも良し、のんびりと関東ふれあいの道を眺めながら美野沢の彼岸花群生地に行くのも良し、楽しみ方はいろいろ選択できますね。
美野沢彼岸花群生地は「とちぎのふるさと田園風景100選」に認定されています。
最新科学が教える彼岸花
日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体(トリプロイド)です。実を結ばない徒花(あだばな)で無性生殖でしか増えない花です、香りはほとんどありません。
種子で増えることができない為、稲作とともに中国揚子江周辺から伝わった、1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられています。
また謎の多い花としても知られ、これだけ派手で目をひく古来の帰化植物であるのにもかかわらず、日本書紀、古事記、万葉集といった古典には一切記述がないそうです。
稲作と同時期にもたらされたと考える根拠として、朝鮮半島であるとか中国北部にはほとんど咲いてないそうです。
米は最近までは朝鮮半島経由で、日本にもたらせられたと考えられていましたが、最新科学に基く日本の米のDNA解析によって、日本の米のルーツは直接中国南部からもたらせられた可能性が高まり、従来の定説がかなり覆ったようです。
文献にでてくるのは江戸時代になってからで、江戸時代に不吉なイメージが定着したようです。
蓑沢の彼岸花の見頃は、9月の下旬から10月上旬にかけて例年楽しむ事ができます。
彼岸花は高温が開花に影響を与えるということで、高温の続いた夏の年は開花が遅くなる傾向があるそうです。
彼岸花の開花時期の測定は、温暖化やヒートアイランド現象のひとつの目安になっているということです。
本数的にはどのぐらの数が植えられているか分かりません。
これから年を追うごとに増えていくと思います。
(満開を迎えた蓑沢彼岸花公園 2014年9月26日) 別名曼珠沙華(マンジュシャゲ、マンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka )が有名ですが、沢山地方によって呼び名があるようで、その別名は1000を超えるそうです。
曼珠沙華とはサンスクリット語で「天上に咲く紅い花」という意味です。
彼岸花の世界 「たそがれ」
今や昔の世界の話です。彼岸花とは秋の彼岸の頃咲くのでそう呼ばれていると思っている方は沢山いると思います。
しかし彼岸花とは飢饉の時に最後に見る夢といわれ、もう食べる物がなくなり、食べれば死ぬのが分かっていながら最後に少しでもお腹いっぱい食べてあの世に旅立つのである。
もうこの先は彼岸(あの世)しか無いので彼岸花と呼ばれる毒草なのである。
私は藤沢周平の小説のように、寂しげに「たそがれ」た夕暮れに、茫々と秋風に揺れる花のようなイメージでしたが、現代の日本人には考えられませんね。
実際の小説「たそがれ清兵衛」では労咳で臥せっている女房を介護するため仕事が終わるとすぐに家に帰り、とことん意を尽くしている勘定方に務める五十石取りの「井口清兵衛」に上意討ちの命令がくだる物語で、映画とは多少趣が違うような気がします。
文中以下「藤沢周平」の「たそがれ清兵衛」より引用
「そうそう、たそがれ清兵衛という渾名で、一部ではよく知られておる男でござります」
「たそがれ? 何じゃ、それは」
「日暮れになると元気になるという意味にござりましょう」
この日は雨模様でもあり、誰も人はおりませんでした。
寂しげな雨の中の「たそがれ」た風景は一人でいると、現代ではないような錯覚を覚えました。
なんとなくではありましたが、彼岸花と呼ばれるのがよく分かる気がします。
流行歌というのは不思議と聴くとその時代を思い出します。
この曲は藤圭子さんが1970年、19歳の時に歌って大ヒットした「圭子の夢は夜ひらく」ですが、当時の19歳は大人ですね。
まだまだ世の中が沸騰していた時代です。
静かに彼岸花をみながら現在の飽食の日本を考えてみました。
雨に濡れた雫が、飢饉で死んでいった人達の涙のような気がしました。
食べれば死ぬのがわかっていながら涙を流しながら食べたのでしょうね。
東北の貧しい山村などでは実際にあった話だそうです。
悲しい話です。
ヒガンバナは長い間不吉の象徴のように忌み嫌われた花であります。
しかしヒガンバナは世の中を怨みこそすれ、決して世の中から怨まれるような花ではないのかもしれません。 独特の花は結構インパクトがあります。
現在は鑑賞用として美野沢彼岸花群生地のような群生地が各地で造られているようです。 また畑を荒らす害をもたらすモグラやネズミ避けなどの用途として植えられています。(効果の程はわかりませんが、毒があるためミミズが寄ってきません。)
旧東山道は義経の伝説が数多く残っていて別名「義経街道」と呼ばれ、那須の新たな観光資源として道の駅「東山道伊王野」などの施設ができました。
那須高原ばかりが那須ではないんですよ、
田舎もいいもんです。
美野沢(蓑沢)地区は旧東山道沿いにある集落で、東山道を真ん中に両側は山が道沿いに福島県との境である追分の明神あたりまで続いております。
このまま進んでいきますと10分ぐらいで白河の関に行くことができます。
白河の関は能因、西行、松尾芭蕉が訪れた有名な歌枕の地です、
能因が詠んだ「都をば霞(かすみ)とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」というような気持ちが、ボンクラの私でも秋風に吹かれているとしてまいります。
白河の関は松尾芭蕉が「おくのほそ道」に旅立つ時の目的の一つでした。