BeNasu那須高原の歩き方
BeNasu 那須高原の歩き方

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古い文化が残る歴史の町白河から那須連山を眺める。

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私の家の先祖は元々は白河であるため、白河に来るたびに子供の頃からよく城山に登ったものです。

幼い記憶ですが、上から見下ろすと白河駅がよく見えて、蒸気機関車が蒸気と煙を上げて走っていたのを憶えています。

これに乗って郡山や二本松に子供の頃行った思い出があります。

お城は現在震災で城壁が随分崩れており、大変痛ましい事態となっています。
一日も早く復興できれば市民の力になるでしょう。
なんといっても白河のシンボルですから。

城から眺める那須連山はとても角度が良く大変美しい姿を見ることができますよ。

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小峰城・三重櫓は、震災の影響で石垣が崩れているため、入場を見合わせております。

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奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が興国・正平年間(1340〜1369)に小峰ヶ岡に城を構えたのがはじまりで、寛永9年(1632)に江戸時代の初代藩主、丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城です。

その後、松平定信をはじめ7家21代の大名が居城しましたが、慶応4年(1868)戊辰戦争白河口の戦いで落城。
約120年の時を経て、平成3年(1991)に三重櫓、平成6年(1994)に前御門が江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元され、市のシンボルとして親しまれています。

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河小峰城(しらかわこみねじょう)

現在は東北地方太平洋沖地震により大規模に城の石垣が崩落していて、危険な為城には入れません。

かつての美しいバラ園から那須連山を眺めてみました。

もちろん工事関係者の許可の元撮影したものですが、本来はこの上が本丸になる所ですが、危険な為そこには近づく事はできません。
現在はまだまだ痛ましい姿ですが、復旧作業も始まり、またいつの日か美しい小峰城に登る事ができると思います。

白河小峰城(しらかわこみねじょう)から那須連山を眺める。

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小峰城はもちろん白河口の戦いで焼失した為新たに再建されたものです、

古文書を元に精密に造らております。

城の最上階から眺めた那須連山を紹介したっかたのですが、膨大な銀塩のネガが見つからず残念ではあります。

那須連山はこちら側から眺めたほうが優美で美しいです。

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河小峰城(しらかわこみねじょう)

震災前の写真がほとんどです。
現在は復旧工事が行われていますが、かなり難しい工事でしょうし、お金も相当かかるのでしょう。

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河小峰城(しらかわこみねじょう)

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戊辰戦争と白河

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白河口の戦いは下記のページを参考にしてください。

白河口の戦い 白河口の戦い


慶応4年閏4月20日(1868年6月10日)、白河口の戦いにより最終防衛ラインが突破され、官軍による会津の総攻撃に突入していきます。

白河における約100日間にわたる戦いでは、千名を超える死傷者があり、戊辰戦争の中でも激戦地の一つとなっています。

戦後白河の人々は、敵味方問わず戦没兵士を葬り、碑を建てて弔いました。
現在では市内で萩焼なども僅かに見ますが、しこりは残りますよね。

小峰城に飾られてあった新政府軍が使用したイギリス製アームストロング砲。
アメリカの南北戦争が終わると、幕末の日本へ売却され、戊辰戦争で使用されました。

中でも江戸幕府が武器商人のトーマス・グラバーを介して、35門もの多数を発注しましたが、グラバーが引き渡しを拒絶したために幕府の手には届きませんでした。

イギリスは幕府支持でしたが、時代の趨勢は倒幕にありというグラバーの進言により態度を変えました。

まぁ、グラバーなくして倒幕は難しかったと私は思います。

グラバーについてはフリーメイソン説など巷間いろいろ言われています。

維新後は三菱財閥の顧問役などをやりましたが、その後衰退の一途を辿ります。

グラバーが日本で初めてのビールである、キリンビールの元を作りました。
キリンビールの麒麟は麒麟像と坂本龍馬を指していると言われていますね。

白河口の戦いでは新選組も参戦しましたが、新選組一番隊組長及び撃剣師範であった沖田総司は白河藩藩士・沖田勝次郎とミキの長男でありました。

1868年6月10日の「白河口の戦い」の時点では労咳により戦線を離脱しており、大変無念であったと思います。
沖田総司は約一ヶ月後の1868年7月19日に、労咳(結核)によりこの世を去りました。

名刀「菊一文字」を本当に所有していたかどうかは、私などの考えの及ぶところではありませんが、以下ウィキペディアより引用させていただきます。

沖田の所有した刀として、よく「菊一文字則宗」の名が挙げられ、これは子母澤寛などの伝記により「沖田の刀は“菊一文字細身のつくり”」とされていたことから広まったものであるが、則宗作の刀は、刀が常用されていた当時でさえ非常に貴重な古刀であり、大名ですら入手困難な国宝級の代物であったため、経済的にも実戦で使用する必要性からも沖田が所有した可能性はほとんど無いと推察される。あるいは、則宗以外にも幾つか存在した「“菊に一”の紋を打った細身の刀」の1つを使用していたのではないかとする説もある。 現在では沖田が所有した実際の刀で確認されているのは「加州清光」「大和守安定」とされている。

白河小峰城(しらかわこみねじょう)から那須連山を眺める。

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小峰城の風景

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白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河小峰城(しらかわこみねじょう)

静かな夜は遠い昔の、もののふの声が聞こえてくるかもしれませんよ。

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河小峰城(しらかわこみねじょう)

このトイレが洒落ています。

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河小峰城(しらかわこみねじょう)

現在は地震で崩落した石垣を修復中です。

白河小峰城(しらかわこみねじょう)

大手門の礎石の跡。

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河小峰城(しらかわこみねじょう)

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河小峰城(しらかわこみねじょう)

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アクセス

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東北自動車道 白河IC 約15分
JR東北本線 白河駅 徒歩10分

gifわかりずらい場所ではありませんがGoogle Earthを見れる方は確認してみてください。
緯度・経度
37° 7'57.90"N 140°12'49.58"E
上記の数字の部分をGoogle Earthの検索窓にコピペしてリターンを押せば自動で飛んで行きます。
Google Earth をダウンロード

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駐車場

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駐車料金 無料
小型車 100台
大型車 10台

白河小峰城(しらかわこみねじょう)

白河小峰城(しらかわこみねじょう)

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城郭構造 梯郭式平山城

天守構造 三重櫓(複合式望楼型3重3階 1632年築・1991年木造復元)

指定文化財 国の史跡

住所: 〒961-0074 福島県白河市郭内

電話: 0248-22-1147

歴史

627年(寛永4年) 丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封され、幕命により、寛永6年より城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして1632年(寛永9年)に完成した。

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白河小峰城(しらかわこみねじょう) 丹羽長重

その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があった。

松平久松家 帝鑑間席→溜間席 親藩 11万石 (1741年〜1823年) 定賢(さだよし)〔従四位下・越中守〕 定邦(さだくに)〔従四位下・越中守〕 定信(さだのぶ)〔従四位下・越中守、左少将 老中首座〕 定永(さだなが)〔従四位下・越中守〕

白河藩第3代藩主 松平定信

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河藩第3代藩主 松平定信

1867年(慶応3年)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 阿部氏

白河小峰城(しらかわこみねじょう)

小峰城には白河バラ園(6月のみ営業)がありました。

白河バラ園

残念ながら今回の震災によりバラ園も壊滅してしまい私個人としては、とても残念です。

白河小峰城(しらかわこみねじょう) 白河バラ園

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白河藩の歴代藩主

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白河小峰城(しらかわこみねじょう)

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まず丹羽家から始まります。10万石です。
初代 丹羽長重(ながしげ)
二代 丹羽光重(みつしげ)
三代 榊原(松平)家で14万石です。
榊原忠次(ただつぐ)
四代目 本多家 12万石
本多忠義(ただよし)
五代 本多忠平(ただひら)
六代 松平(奥平)家 15万石
松平(奥平)忠弘(ただひろ)
七代 松平(越前)家 15万石
松平(越前)直矩(なおのり)
八代 松平(越前)基知(もとちか)
九代 松平(越前)義知(よしちか)のち明矩(あきのり)
十代 松平(久松)家 11万石
松平(久松)定賢(さだよし)
十一代 松平(久松)定邦(さだくに)
十二代 松平(久松)定信(さだのぶ)
十三代 松平(久松)定永(さだなが)
十四代 阿部家 10万石
阿部正権(まさのり)
十五代 阿部正篤(まさあつ)
十六代 阿部正瞭(まさあきら)
十七代 阿部正備(まさかた)
十八代 阿部正定(まささだ)
十九代 阿部正耆(まさひさ)
二十代 阿部正外(まさと)
二十一第 阿部正静(まさきよ)

白河口の戦いの時は、天領になっており戊辰戦争の時は空き城でした。 
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