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- 黒磯公園の桜と那珂川河畔公園(なかがわかはんこうえん)
桜と那須連山を見渡せる清流那珂川に面した那珂川河畔公園
那珂川の水を引き入れて大池や日本庭園、築山などを配したリッパな公園である。
2年に一度行われる那須野ふるさと花火大会が有名ですが、普段は閑散としています。
大都会にあったら、それこそ有名になるような素晴しい公園ですが、花の季節でもなければほとんど人はいません。
人口密度が低いのです、
田舎のいい所だし、まただから田舎なんでしょうね。
那珂川は那須連山の茶臼岳と朝日岳の西麓から始まり、那須高原、那須塩原市や栃木県のいくつかの市町村を流れ、茂木町から茨城県の常陸太田市に入っていきます。
そして茨城県を太平洋に向かい「ひたち那珂湊」と「大洗町」を分けて鹿島灘に注ぎます。
その全長は150Km、流域面積は約3270平方キロメートルに及びます。
関東最大の川はもちろん利根川です。
豊臣秀吉と徳川家康の名人戦ともいえる対決は、それこそ星の数ほど小説やドラマの題材になっていますから皆さんもよくご存知の方が多いと思います。
秀吉の天下平定の最終仕上げが北条氏の小田原攻めでした。
家康はその最大の功労者でありながら、論功行賞といいながら当時は湿地帯でしかなかった江戸に左遷ともいえる領地替えを秀吉より告げられます。
しかし家康の素晴らしいのは、常人が見たら単なる左遷ですが、平安、鎌倉、室町と時代を経て当時の現在の石油というべき燃料であった木の不足を懸念していた家康は利根川流域に大油田ともいうべものを発見するわけです。
それで江戸時代湿地だった関東平野の原因だった利根川の流れを東に東にと改修していって、やがて日本一の豊穣の大地「関東平野」に変えていきました。
それがなかったら現在の東京というか日本の繁栄はなかったでしょう。
南北に長いこんな使いづらい土地を改良して、世界の一等国にした元は徳川家康と田中角栄ですね。
そんな大それた構想に見向きもされずに、那珂川は明治時代までのんびりと流れておりました。
河川の改修は江戸時代に99パーセントが行われたといわれますが、那珂川は利根川に次ぐ長さがあるにもかかわらず、明治時代に大荒野であった那須野ヶ原に明治のパーワーエリート達が目を付け「那須疎水」が出来ますが、それ以降は人工的な堤防やダムの建設が少ない為現在でも関東圏にありながら清流を保っております。
黒磯公園も那珂川河畔公園も桜が満開ですが、那須連山にはまだまだ雪が残っています。
雪と桜綺麗な取り合わせです。
那須連山に向かって、那珂川を挟んで河畔公園の反対側にある林が、昭和天皇がこよなく愛した那須街道の赤松林です。
黒磯公園。
那珂川河畔公園(なかがわかはんこうえん)は野球場・サッカー場・ラグビー場・プール・ボート乗り場などがある総合グランドの役目もあります。
夏にはここで花火大会が行われます。(隔年開催)実は那須塩原市にも有名な三春の滝桜があるんですよ
幼馴染の藤田勉君に頼まれて、那須塩原市の許可を頂き私が植えた、あの有名な三春のしだれ桜の子供です。
父親思いの彼が、父親の出身地である故郷の三春を偲んで、この公園に来る人々にも美しい三春のしだれ桜を見て頂こうという事で植えたものです。
植えてから、約15年の歳月が経ちますが美しい物は時間がかかります。
ソメイヨシノだったら結構な大きさになるのですが、まだまだ小さいので大切にしてあげて下さい。
いつの日にか那須塩原市の名物になる日がきっときますよ。
ついこの間まで葉が一枚もなかった木々が、いっぺんに春めいてきました。
大小いくつか池があり、これはその中でも大池といわれる一番大きな池。
魚も沢山いるぞ、でも釣りは禁止だよ。
滝があったり散歩するにはとって良い公園です。
染井吉野とは日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられる日本産の園芸品種です。
ソメイヨシノはほぼ全てクローンです、つまり接木というやつで、実生ではソメイヨシノになりませんよ。
どこでもソメイヨシノばっかじゃつまらないですもんね。
海外でもワシントンのポトマック川のタイダルベイスンで毎年春に行われる全米桜祭りでのソメイヨシノが有名そうです。 黒磯公園の戦没者慰霊塔に散った桜の花びらです。
この光景はとってもキレイでした、表現というより、ちょっと言葉にできない日本人の遺伝子に、なにか組み込まれている感情のような気がしました。