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- 羽田沼(はんだぬま)ミヤコタナゴ生息地と白鳥飛来地
注意 2017年1月羽田沼白鳥のインフル陽性(下野新聞 1月18日 朝刊)
白鳥飛来地 としての羽田沼(はんだぬま)
周りには水草が生い茂る幅約100m、長さ300m面積にして約4.7ヘクタールと決して大きくない湧水沼です。
半田沼の歴史は古く、きちんとした記録はありませんが慶長年間にすでに存在したといいますから事実だとすれば豊臣秀吉の時代です。
明治以降は「長者ケ池」と呼ばれていたそうです。
ここも九尾の狐との謂れが残っており、一説には九尾の狐退治に加わった氏族「大野家」の祖先があり、黒羽の篠原稲荷(玉藻前(たまものまえ)稲荷神社)にはお参りしない、お参りしても効果がないという言い伝えがあるといいます。
殺生石で有名な九尾の狐(玉藻前)が成敗されたとされる「鏡池」は実は玉藻前(たまものまえ)稲荷神社ではなく、本当は「鏡池」は羽田沼だという伝承も地元の古老の間には根強くあります。
ルルルルルルルル
篠原稲荷(玉藻前(たまものまえ)稲荷神社)に行った事がある方でしたら納得できる話ですかね、玉藻前(たまものまえ)稲荷神社の「鏡池」はユニットバスに毛が生えたぐらいの大きさしかありませんから、8万人といわれる大征伐軍を率いて成敗した伝説がなんじゃ〜そりゃ「松尾芭蕉」という事にもなりかねませんんからね。
参考文献 羽田郷土史より
現在水質汚染が進んでおりその大きな原因になっているのが、冬の白鳥飛来時期の給餌と野鳥のフンの問題です。
多い時には450羽が飛来した記録もあります。
白鳥の飛来地として有名になって行くに従い、白鳥を見にやってくる観光客が餌を与える為、結果として水域を汚染してしまいミヤコタナゴなどの生存が危ぶまれ「共存」が危ぶまれ困った問題となっています。
白鳥は元々飛来していたものではなく、各地の白鳥飛来地と同じく餌付けにより毎年来るようになったものです。
私も子供の頃アヒルを雛から飼った事があり、カモの種類というのは、あっという間に大きくなり大量のフンをします。
人間にも良くなつきます。(餌は「ふすま」と「白菜」などです)
沢山の人が餌をやっていますが、簡単に寄ってきてしまいます。
半田沼に白鳥が飛来するようになったのは昭和45年(1970年)からです。
野生の白鳥の餌付けは、60年前に初めて新潟県阿賀野市五頭連峰の麓「瓢湖(ひょうこ)」で成功してから、各飛来地で30年ぐらい前から始まり、だんだんと親鳥が子鳥に人間は餌をくれる存在だと教えるのでしょうね。
どこの飛来地の白鳥も、現在あまり人を怖がらないようです。
私が子供の頃の南湖(白河市)に来る白鳥は、そんなに人間にはなついていませんでした。
昔は日本はもとより、世界中で食べられたそうです。
現在白鳥は禁鳥あるいは保護鳥ですから、たとえ善意の行為であっても無許可で捕獲したりすると、もちろん処罰されます。
ハクチョウは、カモ科の7種の水鳥の総称です。
オオハクチョウ自体は草食性の鳥ですので、本来は水草や陸の落ち穂や青草などを食べています。
ミヤコタナゴを食べたりはしません。
ここに飛来するのは最も大型のオオハクチョウとコハクチョウです、美しい鳥ですから「困ったちゃん」にしないためにも静かに鑑賞するだけにしましょうね。
同じ大田原市内にある琵琶池の方は、コハクチョウがほとんどらしいので、見比べてみるのも面白いかもしれません。
オオハクチョウは遠く3.000Kmも離れた、ロシア極東のタイガ地帯から飛来します。
白鳥というと日本人は皆ロマンティックな「白鳥の湖」を想像しますね。
幻想的なチャイコフスキーの「白鳥の湖」が有名ですが、「白鳥の湖」のモデルになったといわれるノヴォデヴィチ修道院の池は、深い森林の中ではなくモスクワ市内にあるようです。
羽田沼周辺は小さな田舎の農村ですが、ここでも世界とつながっているのですね。
ミヤコタナゴは地元住民の苦労や行政を含めて、大変な保護努力をしていますから、安易な気持ちで白鳥に接する事は厳禁です。
十分な主食である水草などがあるから毎年飛来してくるのですから、人間の与える餌は必要ないのです。
カワイイのはわかりますが、やはり自然の摂理に反する行為はやるべきではありません。
日本で越冬するのはオオハクチョウとコハクチョウの2種類だそうです。
羽田沼に飛来してくるのは、オオハクチョウです。
オオハクチョウとコハクチョウの見分け方は嘴です。
オオハクチョウは嘴の黄色い部分が多く、首が長くて大型です。
コハクチョウはずんぐりとした感じで、首が短めで嘴の黄色い部分も少なめです。
オオハクチョウの嘴は尖っているのが特徴です(左)
人間と比較しても大型なのが良く分かります、これが飛ぶのかというぐらいの大きさです。
同じ顔をしていますので、なかなか個体識別は難しいのでしょうが、白鳥は大体同じ場所で越冬するようですので、羽田沼も毎年同じ白鳥が来ているのかもしれませね。
シベリアが氷結して餌が無くなってしまうため渡りをするのだと思いますが、危険を伴う命がけのフライトですから、なるべく距離が短く安全な場所を白鳥も選んでいるのでしょう。
あまり日本列島を南下して行かないのは、そういう理由だと思います。
白鳥は羽田沼が安全だと認識しているのでしょうね。
白鳥はかなり寿命が長い鳥で、野生で大体15年ぐらい、飼育だと倍ぐらい生きるようです。
有名なネス湖のネッシーが、皆さんも良くご存知のように、古代のプレシオサウルスであるとか、イヤ白鳥の写真じゃないかとか長い間議論があって、結局模型であることが判明しました。
何となく白鳥のようですね。
現在はプレシオサウルスの首は、機能的にこのような角度には持ち上がらないのが解明されていますから、今だったらすぐバレたのでしょうが。
単に泳いでいる姿はそれほど特殊な鳥には思えませんが、飛翔するときはさすがに素晴しい光景です。
最初に飛ぶのが父親で、間に子供を挟んで母親が飛ぶそうです。
長距離を飛翔する鳥としては最大級で、まるで大型の航空機のように身体が重いため、離陸時は助走を必要とします。
翼長2mを超える羽を広げ羽ばたく姿は見た人でないと中々分からないと思いますが、やはりさまざまな伝説・神話などにも取り上げられるだけあり格別な優雅さと風格を感じます。
(ロシアの動画)
現生の空を飛ぶ鳥の中では最大級の重量を有しています。
オオハクチョウの幼鳥は全体にグレーで、幼鳥も結構見かけます。
この沼は湧水ですからもっとキレイな水であってしかるべきなのですが、2007年当時は汚いというイメージがありました。
ミヤコタナゴの方の写真は2013年現在のもので、白鳥に餌をあげることを禁止してから徐々に水質も改善されきているようです。
回りは豊かな田園風景が広がっています。
夕日の彼方から、コーリング・ユーが聞こえてくる雰囲気です。
(写真 左)近くにあったので撮りました、なんか映画バグダッド・カフェみたいですね。
このような豊かな自然があるので、白鳥が越冬の為飛来して過ごせるのです。
少し離れるととてもキレイな水が流れています。
大々的に定着はしませんでしたが、長野県の安曇野、静岡県とともにワサビ栽培に適切地とされたこともあります。
羽田沼と周辺地域も近い将来には、昔の美しい水に戻る事でしょう。
大田原市というのは、環境保護や景観を大事にする市ですね。
環境保全に取り組むミヤコタナゴ(Tokyo bitterling)生息地
ミヤコタナゴ(コイ科 学名Tanakia tanago)は1974年に魚類で初めて国の天然記念物に指定されました。絶滅の危機に瀕しており、現在では栃木県と千葉県の一部のみ棲息しています。
場所的にはこのサイトでも取り上げているイトヨ生息地からほど近い場所です。
那須町からほど近い、大田原市にある羽田沼(はんだぬま)野鳥公園と周辺のミヤコタナゴの生息地です。
明治時代後半、東京市小石川(現東京都文京区)の東京帝国大学付属植物園内を流れる小川で発見されたことが「ミヤコ」の名前の由来となっています。
全長約6センチメートル。一対の口ひげがあり、産卵期に現れるオスの美しい婚姻色で知られ、実際にみてみますと非常にキレイです。
大田原市の滝岡の生息地とともに大変希少な場所となっています。
昭和天皇も大変興味をお持ちになり、大田原市の滝岡の生息地を御訪問されております。
秋篠宮殿下も訪れております。
(1974年に大田原市親園の184.9haを自然環境保護区に指定して、ここでは水面下からミヤコタナゴが泳いでいる姿を見ることができる水中観察舎が設置されています。)
ミヤコタナゴは豊かな田園風景が広がる沼に住んでいます。
2007年当時とくらべると公園自体もキレイになってきているようです。
現在ではまだ見た目では大きな改善はないようですが、水自体はまだまだこれから浄化していく事でしょう。
地元ではミヤコタナゴを保存する取り組みが本格的に開始されており、放流や監視カメラなどを設置して本気度がわかりますね。素晴しい事だと思います。
誤解している方がおりますので、ミヤコタナゴ自体は水槽など人工飼育すれば決して難しい魚ではありません、あくまで自然の環境の中で生存させることがこの本質です。
ミヤコタナゴが生きられる環境を作ってそれを維持することですね
許可のない捕獲採集や飼育、譲渡売買は禁じられています。
みなさんで是非ミヤコタナゴを絶滅から救いましょう。